銀杏並木でふたりきり



 マリアさまの前。
 お祈りをしているあの姿は……

 「ごきげんよう。……、ロサ・フェティダ」


 危ない。


 ここはまだリリアンの敷地内。
 蓉子は「江利子」と出かけた言葉を慌てて飲み込んだ。

 「あら。ロサ・キネンシス、ごきげんよう」

 不敵な笑み。


 「珍しい所で会ったわね」
 「え、ええ・・・。そうね」


 普段、蓉子は役職名と本名を呼び違えるなんて絶対にありえない。
が、遠くから江利子の姿を認めて急いで追いつこうと必死に走ってきて、追いつけたことでつい油断してしまったのだ。


 きっと、江利子はそんな蓉子の失態に気付いている。
 口に出だしてはいないが、顔に思いっきり出しながら徐々に紅潮してゆく蓉子の顔を見つめる。

 

 厭なからかい方。


 「久しぶりね。こんなところで会うの」
 「えぇ…」



 顔の温度が下がるのを待ってくれない。


 「久しぶりついでに、一緒に帰る?」
 「…ぇえ?」
 「なによ、その反応。イヤならいいわ。ひとりで帰るから」


 くるりと身体を反転させて江利子はさっさと歩き始めた。

 その、あまりにもあっさりしすぎた態度に、蓉子は混乱する。


 「あ、ちょっと待って…! だれもイヤなんて」


 呼び止めても、まるで声が聞こえていないかのような振る舞い。

 あぁ…どんどん遠ざかって行ってしまう。

 どういうつもり?

 私を、置いて行かないで。



 「…っ! 江利子、待って!」
 「!!」


 滅多なことでは動じない江利子が、珍しく表情を大きく変えた。
 蓉子が、あのロサ・キネンシスが、江利子の背中に抱きついていたのだ。


 「ごめんなさい…。あの、少し驚いただけなの。だから…」


 蓉子が何かしゃべるたび、肩の辺りがくすぐったい。
 くぐもった声が、熱を帯びている。
 きっと、顔は真っ赤。


 見たいけれど。
 後ろから蓉子に抱きつかれているというこの体勢も中々。


 あぁ、でもやっぱり。
 振り返って見たい。

 少しでもからかったら泣いてしまいそうな、弱い蓉子を。



 「…! ごめんなさい! いきなり…こんな、抱き…つい…」


 江利子がそんなことを考えているうちに、蓉子はわれに返ったようで少々大げさに離れた。


 自分のしたことが恥ずかしくてたまらない。
 顔が熱い。



 そんな蓉子を見て、江利子はニヤリと口元を歪めた。


 「なぁに? 蓉子。はっきりおっしゃいな」
 「なっ! ど、どうしてそういう意地悪言うのよ!」
 「蓉子が好きだから」
 「もぅ!」


 会話に耐え切れなくなって、蓉子はさっきの江利子のように少し早足で歩き出す。


 「蓉子。せっかく一緒に帰るんだから、並んで歩きましょ」


 蓉子は立ち止まって、きちんと振り返る。
 身体に染み付いた、リリアンの教えの通り。


 「意地悪するくせに」


 だが、その口から出た言葉は、まるで幼い少女のようで。


 「私のこと、好きなくせに」


 江利子はそう言いながら、少し潤んだ蓉子の瞳を見つけて満足そうに微笑んだ。





『銀杏並木でふたりきり』 終わり




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