保健だより
〜家に帰ったら手洗いうがいをきちんとしましょう〜



 千尋が教室の扉を開けると、その姿を見つけたクラス委員長が鬼の形相で駆け寄ってきた。

 「遅刻っ!」

 千尋の鼻先に指を突きつけて声高らかに宣言する。
 お前はどっかの団長か…。

 「今年、これで何回目!? いい加減にしないと本当に留年するよ!」
 「あー」
 「ねぇ、ちゃんと私の話聞いて…、ってアレ?」
 「…ん?」
 「どうしたの? 千尋、顔赤くない?」
 「かもね」
 「えっ? 何? 熱あるとか?」
 「さぁ…」
 「ちょっと、具合悪いんならふざけないでちゃんとえぇちょっと!?…」

 委員長の「ふさけないで」 のあたりから千尋はずるずると目の前の委員長にもたれかかり、
  「返事が無い。 ただの屍のようだ」 という断末魔を残して気を失った。

 その直後。

 「うぉ!? ちーちゃんが委員長を押し倒してるー!」

 廊下から平均より高めの声が委員長の脳に突き刺さった。

 「あ、丁度いいわ。 保健委員、これ保健室に運ぶの手伝って」
 「え、マジ? ちーちゃんどしたの?」
 「なんか熱あるみたいで…」
 「そりゃたいへーん! でもアタシ今トイレ行って来たばっかで手びっしゃびしゃなんだけど、いい?」
 「あー、いい、いい。 コイツの服で拭いちゃいなさい」
 「……そりゃあんまりだぜ、イインチョー」

 保健委員が千尋の言いたいことをそっと代弁したが、やっぱりしただけで、その水滴にまみれた手を使って委員長と共に千尋を担いだ。



〜数分後・保健室〜

 「えっ? え!? どうしたんですか、これは!?」
 「ちょっ、これって先生…」
 「今さっきやっと登校してきたんですけど、熱あるみたいでいきなり倒れて」

 委員長は 「やっと」 を一番強調して言った。

 「えぇ!? 倒れ…えぇ!?」
 「先生、落ち着いてヨ」
 「とりあえず、ベッドに運びますね」

 せーの…よいしょ! おりゃ!! ゴッ! あ、ちーちゃんの頭ベッドにぶっけちゃった! えーっ!? 死にゃしないでしょ。 そんな、委員長さん…。 そうだ、靴脱がさなきゃ…って、かたっぽねぇし! え?運んでるときにどっかに落としてきたかな? あー、おなかすいたー。 食べてないの? アタシは食べる前に出す主義です。 あの、ふたりとも…靴の件は…?


 と、ごちゃごちゃしているうちに、千尋が顔を思いっきりしかめながら目を覚ました。

 「…っさいなぁー…。 痛っ! なんか頭痛ぇ…」
 「あ、目覚ました! アタシのアレイズが効いたみたいだね!」
 「いや、ちげーよコレ。 むしろホーリー食らった気分だよ」
 「無駄に順応力高いな…」

 委員長が千尋と保健委員のハイレベルな会話をぶった切った。
 そこですかさず先生のターン。

 「い、市原さん、大丈夫ですか? 教室で倒れたって?」
 「ここはどこ? 私はだれ?」
 「記憶喪失ですかー!?」
 「いや、先生…違うっしょ。 さっきアタシとめっちゃ会話してたじゃん」

 普段、ボケの保健委員をツッコミに回す保険医。
 に、見飽きてふと時計を見た委員長は心から落ち込んだ。
 かなり無駄な時間を過ごしてしまった、と。

 「私は教室戻ります」
 「えっ!? 待って委員長、アタシも帰るー」
 「あ、ふたりとも…! 靴っ、靴をー…って…聞こえてたかな…?」
 「?」
 「あ、いえ…あはは…」

 途端に室内が静寂に支配される。

 唐突に訪れたふたりきりの空間で同時に思う。
 何、この微妙な空気…。

 「…っげほっ! げほ…」
 「あ、大丈夫ですか?」

 急に咳き込んだ千尋の背中をゆっくりとさする。
 先生、冷静さを取り戻してきました。

 「えっと、とりあえず熱を測りましょう」

 ベッドから離れ、体温計を取りに行く先生の背中を見ながら千尋は、今無理やり出した咳でうまいこと空気を換え、このオトボケ教師を動かせたことに安堵していた。

 だがしかし、途中から演技ではなく本気で咳き込んでしまい、喉の奥が鉄っぽくなったことに泣きそうになった。


 「はい、どうぞ。 …あら? 本当に辛そうですね…」
 「いや、これはそれとは違った辛さで…」
 「?? …そういえば、さっき登校してきたんですよね? 病院行って来たんですか?」
 「病院キラーイ」
 「またそんなワガママ言って…」
 「でも保健室は好きー」
 「メイちゃん!? ってまた分かりにくいボケを!」
 「ナイス、二段ツッコミ!」
 「もう、ホラ。 おとなしくしてないと正しく熱が測れないですよ」

 言って、先生は千尋の布団をかけなおし、枕元にイスを持ってきて座った。

 「…っしょっと」
 「うっわ、どっこらしょってアンタ…」
 「そんなハッキリとは言ってないでしょう!?」
 「かわいく言ったつもりかもしれんがねぇ、やっぱかわいいよ」
 「えっ? そん…もう、具合悪いときぐらいおとなしくして下さい」
 「……………」
 「……………(あ、素直になった…)」

 沈黙。

 「ヨッコイショーイチ」
 「…ちょっ! ………!!」
 「いや、別に声に出して笑っていいよ」
 「はぁ…、ちょっとテンション高すぎです、市原さん」
 「止・め・て♪ テンションを止・め・て♪ ロマンチッ」
 「歌わない!」
 「だって、体温計ピピッてなるまで暇なんだも ――あ、鳴った」
 「何度ありました?」
 「38度7分」
 「……………見せて?」

 千尋から体温計を受け取り、確認する先生。
 何回見てもやっぱり38度7分。

 「ちょっ…うそ…」
 「平熱平熱」
 「世紀末リーダーじゃないんだからっ! あなたの平熱は36度3分でしょ!」
 「ばれてしまっちゃあ仕方ない」
 「え、ど、どしよ!? 点滴!?」
 「学校の保健室で点滴って。 なんかおでこに張るやつとかちょうだい」
 「あ、はいはい! あと、風邪薬…」

 バタバタとやかましい足音に紛れて硝子が割れるような音や、金属がぶつかり合う音などが聞こえたが、千尋は聞かなかったことにした。

 色々かかえて戻ってきた先生を見て、怪我をしていないことを確認し、千尋はおとなしく熱を取る例のアレをおでこに張ってもらった。

 「もう…なんでこんな高熱で…」
 「体温上がるとテンションも上がるんだよね」
 「そうじゃなくて! もう、いつから具合悪いんですか?」
 「んー、昨日の夜くらいからかな」
 「えぇっ!? ならずっと家でおとなしく…って、市原さん、一人暮らしだったね」
 「わざわざ風邪ごときで遠い実家の両親呼び寄せるってのもね〜」
 「わ、私に一言メールでもなんでもくれれば…」
 「仕事中に? そんなことしませんよ。 だから死ぬ気で登校したんじゃん」
 「そ…う…」
 「学校に着けば志保に看病してもらえる! って」
 「うわぁ〜…恥ずかしいセリフ禁止―」
 「途中、何回か意識飛んだけど」
 「あ、当たり前です。 そんな高熱出して。 しばらくしても下がらないようなら病院連れて行きますからね」
 「あれ? 待って。 何か急にスッキリ…あ、コレ治ったわ」
 「そんなわけないでしょ。 薬飲んで、ちょっと寝なさい」
 「はいはい」

 先生が席を立って、小さい冷蔵庫からミネラルウォーター(千尋専用)を出して、コップ(千尋専用)にそそぐ。

 「…ねぇ」
 「なんですか?」
 「これでも心からありがとうって思ってるよ」
 「ええ。 分かってますよ」

 そのコップを持って、千尋のもとへ歩く。

 「これでも、死ぬほどあなたのこと、心配してるんですよ」
 「わかってるよ」


 「おやすみなさい…」
 「ん。 おやすみ…」



〜そして〜

 「いいいいイインチョー!!」
 「いだっ! 何? 靴!? こんなん投げつけんなバカ! いったぁ〜」
 「今さぁ、保健室にちーちゃんの靴届けに行ったらさぁ、もうビックリだよっ!」
 「なにが?」
 「そりゃ、アタシの口からは恥ずかしくて言えませんなぁ」
 「うん…まぁ、今は黙ったほうがいいね。 授業中だからね」

 「じゃ、この問題をクラスで一番元気のいいあなたに解いてもらいましょう」
 「先生っ! 体罰で訴えます!」
 「こっちが訴えたいわ!」

 保健委員と数学教師が漫才を始める中、さっき投げつけられた靴に書かれた名前を見て委員長はため息をついた。

 「(結局、この靴は私が届けなきゃいけないのか…。 どうかその時までには保健室の空気が異常じゃありませんように…)」





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